スピリチュアルな学び、ヒーリング、エネルギー療法と言われる手法を学び始めの頃は、私自身の人生もとても苦しい時でもあり、その学び自体が人生の方向を導くようなものでした。
お金の心配、家族との課題、自分自身のこれからの行末も未知であり、スピリチュアルなことを学び、それを生業にしたいという思いだけが強い自分でした。
そして人生の岐路であり、あの頃にあの辛い時期がなければ仕事にもしていなかったかもしれません。
水晶透視の練習を繰り返したり、ヒーリングをしたいため、もっと上手くなりたいという思いからセルフヒーリングも含めて繰り返す日々でした。
その中でオーラを階層ごとに理解することを繰り返すことを行なっていました。
当スクールでもお伝えしている手法ですが、
心許ない自分の人生において、ある意味すがるようにそのオーラから読み取ることを繰り返していたように思います。
ある時、道を歩いて横断歩道を渡ろうとしている時、そんな時も繰り返し行なっていたのです。
するとライトボディ、オーラの階層の霊体にある存在を感じました。
その人はタロットでいう隠者のような存在で、少し私の前を歩いて、私の足元を見守りながら歩いてくれています。身体は少し私の方を見ているので斜めです。
私自身が転ばないように少し岩のようなものが転がる道を私を導きながら歩いてくれているように思いました。その手にはランプ。
まさに隠者の姿。
横断歩道を歩きながら、私はもう心配するのはやめようと思いました。
その存在が導く方向へと歩いていこうと思いました。
その道はきっと私が今歩いている道なのだと。
現実的には厳しくて、不安で一人で歩く道であるけれども、その存在は私の向かう心の道を知り、共にいこうとしてくれているのだと。
ある、霊統の中の一員であると思わせらる経験をよく瞑想やセルフヒーリング中に思ったのです。
その頃、夜寝ようとすると3〜4人ほどの人、もっと多い時もあったのですが、
私の布団を取り囲み、なにやらヒーリングを行う人が訪れてくれてました。
確実に何かエネルギーを変えてくれているのだなと思うのです。
今も自分の周りに訪れて何やら共に働いているのだなと思う時があります。
その存在たちを感じながら生きることは、それほど悪くないです。
それは誰かにはわかることだけれど、わからない人にはわからないのです。
しかし、自分を導く存在を感じれることはとても幸せですし、それはあの一心不乱に精神世界を探求し始めた頃の体験であることは確かだし、今も変わらない体験でもあるのです。